6次化事例 〜春日部野口農園 前編〜

 今回はブルーベリーやイチゴを栽培されている野口文夫さんに6次産業化(以下6次化)やご自身で大事にされていることについて伺ってきました!

 野口さんは埼玉県春日部市に農園をお持ちで、2012年にブルーベリージャムで農林水産省の6次産業者認定を取得。6次化認定を取得した事例を集めた「6次産業化事例集」が私と野口さんの出会いのきっかけでした。野口さんはブルーベリージャム以降もイチゴ栽培、大豆を使った新商品である「豆ころ」、甘酒やせんべいなど様々な商品開発に積極的に取り組まれてきていらっしゃいます。その野口さんに今回は6次化に取り組まれたきっかけから現在に至るまでのプロセスやその中での裏話、さらには貫かれている「思い」などを伺ってきました。


『きっかけはふとしたことから〜支えてくれた人の存在〜』



−−−野口さんが6次化に取り組まれたきっかけは何ですか?


 中学時代の同級生に声をかけてもらって、共同でブルーベリー農園を8年前(2010年)に始めたことが1番最初です。商品開発をする過程で加工や販売までを全部行うことを考えついたので、最初から6次化ありきということではなかったと思います。

 ブルーベリーは摘み取り栽培に不向きなため、どうしても廃棄になってしまう部分がありました。野口さんはそこに目をつけたのです。普段廃棄にしてしまう部分の果実を使った「ブルーベリージャム」です。この過程で野口さんが強調されていたのが【周りの人の協力】です。まず近所に管理栄養士の方がいらしたこともあって、アドバイスを受けながら商品化を目指しました。


 また、当時はちょうど6次化が注目されはじめた時期でもあり、野口さんは農林水産省の6次化の審査に応募しました。1度は厳しい審査に落ちてしまいましたが、社員の方の協力もあり、2度目の申請で無事に6次化事業者認定を得ることができました。こうした出会いを通して野口さんの6次化への挑戦がスタートしたのです。




『直面する様々な課題、それでも挑戦する…!〜培われた手法〜』

 

無事に6次化の認定を受けた野口さん。しかし、そこからの道のりは簡単ではありませんでした。



−−−6次化を進める上で直面された課題はありましたか?


 6次化に関する補助金が個人を対象としては出ないということが大変でしたね。


 6次化というと「始める時に加工専用の機械を導入、そのために初期投資の費用が高くなる」というイメージを持たれている方も多いのではないでしょうか。その初期費用をあまりかけられない状況の中で、野口さんはご自身で持っていらっしゃる資産をうまく運用することで対応されていました。


 実際に農園を見学させていただいた時にも「この棚は譲ってもらった」「あの冷蔵庫は安く買うことができた」などのお言葉が聞かれました。また、新しいことをするにあたっては【小さく始める】ことも重要である、とおっしゃっていました。うまくいけば、拡大していく。失敗すれば修正したり、中止したりする。こうした1つ1つの積み重ねで現在のような多岐にわたる展開が可能になったということでした。


 こうしてブルーベリーをきっかけに6次化の歩みを始めた野口さん。一連の過程で培ったノウハウを生かして、次にイチゴの栽培に取り組まれました。初めは試験的に始めたイチゴ栽培は、現在では5棟のパイプハウスで展開するまでに規模を拡大されています。現在でもリピーターを中心に根強い人気があるようで、インタビュー中にも何回もイチゴ狩り体験の申し込みをする電話が鳴っていました。「女性や家族連れを中心に市内外問わず各地から問い合わせをしてくれる方がいて、とてもありがたい」と野口さんも微笑んでいました。


 また「加工」という考え方は他の商品開発への着想にもなりました。2013年ごろから春日部在来大豆の栽培に着手された野口さんは「どうにか大豆を利用して新たな商品を作れないだろうか」と商品開発を開始。似た事例を参考にしつつ振興センターと考案されたのが「豆ころ」という大豆コロッケでした。ここでも【周りの人の協力】が不可欠だったようです。そのためにはご自身の思いを発信すること、が大事なようでした。


 そして同年10月ごろから県立大学の学園祭や朝市で試験販売を始め、好評を博した「豆ころ」。無農薬無肥料という安全性も手伝って学校給食にも採用されたことがありました。このケースを見ても広めていくにあたって【小さく始める】ことを実践なさっているのだと思いました。


 こうして「豆ころ」を開発された野口さんは以後も甘酒・せんべいの販売など自家栽培している作物を加工して様々な商品開発に取り組まれています。直接お客様に商品を届ける6次化を通して、野口さんは実際にお客さんが農園に足を運んで体験ができることを重視するようになりました。そしてその思いはやがて観光農園として実を結ぶことになるのでした。


【インタビューアー:鎌田知啓】

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